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そのものがありふれると、そのものは価値がなくなる。そしてその先の別の価値 [アンテナ]

昔ほど、日本では車や電化製品などのもの作りがもてはやされなくなった。
ごくありふれたものだし、台湾、韓国、中国でも作ることができるようになったし、それによって値段も下がり皆が持てるようになったからだ。そうやってありふれたものに対して人はあまり価値を置かなくなる。

昔、食糧を生産する技術がそんなに発達してない時は、農業は今よりずっと尊い仕事だったと思う。
士農工商と言って、侍の次にえらいのは農民だった。そしてそれを加工する職人と、それを右から
左に流して(流通させて)その利鞘を取る商人という階級。

しかし今は農業や、工業の時代は過ぎ、商業、金融や、流通やサービス。お金を取り扱う人間が
クールだと思われている風潮がある。
食べ物、衣服、PCや車などが皆に廉価で行き渡ると、それに携わる人間は買い叩かれるし、その職業
をかっこいいと誰も思わなくなってしまう。

次はなんだろう? メディアや、アートなどクリエイティブな仕事、もしくは情報に関する仕事か。
彼らは他の人々より、多くの情報を持ち、それを知識やセンスなどに還元して欲しい物と交換する。
持ってない人にとっては、彼らのセンスや知識は高価なものなので、それを切り売りしたり、上手く
売れば彼らはその時代の寵児となれる。今現にそうなっているかも。

そしてこれからは過程の話だけど、それらのアートや情報知識も、今の農業作物や、デフレによって、
廉価に獲得できるPCや車ぐらいの価値になってしまったらどうなるだろう?
そう、欲しい情報は皆一瞬でアクセスでき、その情報や知識を十分流暢に取り扱えれば?

皆どこのレストランが旨いか?どの服が安くてよいか?を知っていれば、ダメな店はすぐに淘汰されるだ
ろう。後に残るのは個人の嗜好の違いだけかもしれない。とにかく、情報や知識やセンスが今ほど
価値がなくなったらどうなるだろう。

例えるなら、今の日本人がアメリカ人やフランス人たちの文化に対してもう十二分に理解し、咀嚼し、
彼らの事は十分に理解し、それが彼らにとってもお互い様だとしたら、彼らからもらうものもないし、
こちらがあげる情報、知識、ノウハウも十分にシェアされなくなった状態だ。

その先には何があるだろうか?
僕は、価値や権威を形作るもの。。。。宗教の時代が来ると思う。
核により、僕らは究極的には暴力という選択肢はもうなくなった。金でリソースはやり取りする。
皆がリソースをシェアするほど豊かになった後。そのあとの話だ。



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