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2014秋から冬 [つれづれ]

まだ、八王子だ。
体重が少し増えた。街のはずれの社員寮なので、近辺に面白いものが無い。
なので出歩かない。

仕事は、まあまあ何とかなっている。
貯金もできて、体も健康に保てている。友人も少しいて、週末も
出かけている。
食事もなるだけ自炊するようにしていて、野菜を多くとり、飲酒喫煙は
控えめにしていて、度が過ぎないようしている。

勉強したり、何か習い事をしようという気はだいぶなくなってしまったが、
まだまだ頑張ろうと思う。

気おくれするのは何かいやだからね。

2014年夏 [つれづれ]

まだ、八王子にいる。
仕事と部屋の行き来で一日は終わる。
それでも週末はいろいろ出かけるようにしている。

あまり書くことがない。まあ幸せなんだろうね。

近況2014年度始まり [つれづれ]

近況を久々に。

1.髪が薄くなってきた。これは悲しい。衰えを実感。

2.技術者的なことから少し遠ざかっている。
 まあ、エンジニア的な事は飽きてきたし、僕はもうその方面では賞味期限切れてるから
 仕事があるだけましだ。

3.今年、韓国、いわき、倉敷、台湾と旅行した。
 楽しかったがおかげで金がたまらない。

4.オンラインの英会話と、ジムに入会した。
 これで1.5万くらい月にかかる。でもまあ、楽しいっちゃ楽しいし、生活の
潤いだから許してほしい。

あとは特にないな。こういう低空飛行で今年は凌いで行くということか。

明日からいわきへ [旅行]

明日からレンタカーで福島いわきへ行きます。
楽しみ。

なんかマラソン大会と日程がかぶってしまってホテルがとれにくかったけど、
なんとか安いホテルがとれた。

明日大雪らしいからどうなるやら

そのものがありふれると、そのものは価値がなくなる。そしてその先の別の価値 [アンテナ]

昔ほど、日本では車や電化製品などのもの作りがもてはやされなくなった。
ごくありふれたものだし、台湾、韓国、中国でも作ることができるようになったし、それによって値段も下がり皆が持てるようになったからだ。そうやってありふれたものに対して人はあまり価値を置かなくなる。

昔、食糧を生産する技術がそんなに発達してない時は、農業は今よりずっと尊い仕事だったと思う。
士農工商と言って、侍の次にえらいのは農民だった。そしてそれを加工する職人と、それを右から
左に流して(流通させて)その利鞘を取る商人という階級。

しかし今は農業や、工業の時代は過ぎ、商業、金融や、流通やサービス。お金を取り扱う人間が
クールだと思われている風潮がある。
食べ物、衣服、PCや車などが皆に廉価で行き渡ると、それに携わる人間は買い叩かれるし、その職業
をかっこいいと誰も思わなくなってしまう。

次はなんだろう? メディアや、アートなどクリエイティブな仕事、もしくは情報に関する仕事か。
彼らは他の人々より、多くの情報を持ち、それを知識やセンスなどに還元して欲しい物と交換する。
持ってない人にとっては、彼らのセンスや知識は高価なものなので、それを切り売りしたり、上手く
売れば彼らはその時代の寵児となれる。今現にそうなっているかも。

そしてこれからは過程の話だけど、それらのアートや情報知識も、今の農業作物や、デフレによって、
廉価に獲得できるPCや車ぐらいの価値になってしまったらどうなるだろう?
そう、欲しい情報は皆一瞬でアクセスでき、その情報や知識を十分流暢に取り扱えれば?

皆どこのレストランが旨いか?どの服が安くてよいか?を知っていれば、ダメな店はすぐに淘汰されるだ
ろう。後に残るのは個人の嗜好の違いだけかもしれない。とにかく、情報や知識やセンスが今ほど
価値がなくなったらどうなるだろう。

例えるなら、今の日本人がアメリカ人やフランス人たちの文化に対してもう十二分に理解し、咀嚼し、
彼らの事は十分に理解し、それが彼らにとってもお互い様だとしたら、彼らからもらうものもないし、
こちらがあげる情報、知識、ノウハウも十分にシェアされなくなった状態だ。

その先には何があるだろうか?
僕は、価値や権威を形作るもの。。。。宗教の時代が来ると思う。
核により、僕らは究極的には暴力という選択肢はもうなくなった。金でリソースはやり取りする。
皆がリソースをシェアするほど豊かになった後。そのあとの話だ。



お金と宗教 [アンテナ]

お金と宗教は、人間と動物を分けている、大きい違い。
2つとも、多くの人間がその価値と存在を信じる事で、より強いものになる。

神様を信じない人も、お金は信じている。価値を実感しやすいのはお金の方だから。
でもそのお金で服を買ったり、車を買ったり。便利と思っている事や、美しい、快いという
心の動きは、何によって決めているのだろう。

それが高度かしたり、抽象化したものの一つというか一番大きなものが、宗教や権威だろう。
その上の方の人が価値を決める。お金を刷るのも、流通するのも彼ら。
システムってやつだ。

そこから遠ざかったり、疎遠になるのは野蛮で未開で、不幸だと感じてしまうのも人の心。
動物はそう思うのか。人よりは無関心に思える。

動物の本能を起点として、宗教は人の行動や規範や価値観を制御する。
お金もその一部のような気がする。お金の価値と権威を信じる人は進んで
それらをより沢山持とうとする。それ自体は本能に直結している。上手い仕組みだよね。

それだけっす

2014年になって [つれづれ]

今は八王子に住んでいる。
犬は去年の5月に死んでしまった。
仕事はまあまあ。貯金も貯まっている。

独身だ。彼女はいる。
もう少しで40歳だ。

質素イノベーションとしてのレゲエ [マネー]

レゲエはジャマイカという、経済的に見ると、顧みられない国で生まれた。
レゲエは、先進国のアメリカ黒人ではなく、遅れた貧乏な黒人の国ジャマイカで生まれた。

レゲエの発端は、ラジオから聞こえてくる遠い国アメリカからのR&Bだった。
電波の悪い場所で、それを必死にコピーし、彼らは娯楽に取り入れた。

彼らは踊ることが好きだった。キツく、希望の無い労働の後に酒を飲み、
綺麗な若い女性が尻を振りながら踊るのを見つつ、自分も踊れば、人生の苦役の
幾ばくかは霧散すると考えているはずだ(僕もそう考えるからね)

それから何年か時は流れた。彼らは大きいスピーカも自らの手で作り、週末ともなれば
それを盛り場に来るまで運び、サーカス式の移動ディスコを開催した。

そこで踊るための音楽を、彼らは競って作っていった。
ある聡明な若者は、日本の廉価なシンセサイザーを使って、打ち込みの
単純だが中毒性のある、リズムを創りだした。彼らはそれをリディムと呼んだ。

同一のリディムに様々な、音楽家が歌声や、トースティングと呼ばれる即興の
合いの手を入れるものが現れた。その合いの手は、人気をはくし、その合いの手
だけで、歌なしのレコードも作られるようになった。

そのリディムと、リズムに乗せた、韻が踏まれた、心憎い合いの手が、観衆に大いに
受けた。

①手作りのスピーカ
②先進国の人気曲のカバー
③同一の中毒性のあるオケ(リディム)
④そして、ひねりのあるトースティング

これがレゲエの4つの要素だ。これが80年代ごろ完成された。今でも健在だ。
なぜなら、完成度が高く、敷居が低いからだ。誰でも理解できるが、なかなか真似
できない。

イノベーションは、場末の場所で、誰からも顧みられない人々がひっそりと起こす。
それは、自己顕示欲のためではなく、自分自身のみみっちい生活が何ミリかでも向上
させるためにだ。

それだけだ

サンザシの樹の下で。 [批評--映画]


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あらすじがベタベタなので、とても油断してたが、この映画は飛び道具だった。
食事しながらやタブレットいじりながら、週末の気怠い中、だらだらとこの映画を見ていた。
すると、だんだん主人公の若い2人に惹きこまれて行く僕がいた。

僕は特に男の子(スン)が気に入った。すごい爽やかで、優しい。しかも長身でハンサム。
そんな彼が、主人公の女の子に硬軟織り交ぜて、猛アタックする。途中フィアンセの噂や、親友の
妊娠などで、未通い彼女は、彼を疑うが彼はとても紳士で真摯だ。

彼はある時、もう彼女に(本当に)会えなくなる事を悟り、精一杯生きた。最期の彼の痛ましい姿と
天井に貼り付けられた、彼女との唯一の2人でとった写真。僕はそれを見た瞬間、涙が止まらなくなった。

最期死んでいく、意識朦朧の彼の前に、約束した赤い服を着た彼女が現れた。
彼は意識がほとんど泣く、もうすぐに死ぬだろう。身体にはどす黒い斑点がびっしりと
現れ、ハンサムで快活だった彼の命が消え去ろうとしてるのは明らかだ。

そこに駆けつけた彼女に、死の淵の彼を取り囲む、遺族たちが曰く「これが最期だから、名前を呼んで
あげて、彼は、ずっとあなたの名前を呼んでいたのよ」と。

でも彼女は、彼の名前が呼べない。呼んだこともないし、恥ずかしいのだろう。ひたすら自分の名前と、
約束した服の事を彼に、何度も何度も伝える、泣きながら。。。

重篤な彼は動かない。しかし涙が顔を伝う。これで映画が終わる。





ジプシーキングのボヘミアン・ラプソデー [つれづれ]

僕は今まで20回近く引っ越した。

幼稚園の時に1回、高校の時、寮、アパートで2回、大学生の時、3回。それからいろいろ10回以上引っ越した。
その度、人間関係はリセットされ、最初からやり直し。その場その場で、友だちはできるが、やがて疎遠に
なる。

昨日、そういう友達の一人が亡くなったとの知らせをメールで知った。
すでに葬式も終わっていた。

その友達は、少し、ダメ人間だった。会社のカネを横領し、会社を首になり、女関係で結婚は破綻。
友だちから借金をしまくったのち、蒸発した。

その友だちが、40前にして、この世を去った。葬式もすでに終わり、僕は葬式が終わるまで、
彼が闘病して、通院していることも、死にかけていることも、死んだことも、葬式が行われたことも

すべて知らなかった。それでもあまり悲しくない。その友人の死も、それを知らされなたかったことも。

こうして、人間は心が鈍くなり、孤独が立てこんできて、老いていくのだろう。

それだけだ。

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